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時事関係から芸能関係まで色々と気づいたことを投稿しておくブログです。老壮青でいえば、ギリ青です。

【合掌】羽田孜元首相が亡くなられて。追悼ミサイルだったか?

羽田孜元首相。

かのミスター政治改革、羽田孜元首相が昨日亡くなられた

との事です。心から安らかにお眠り下さいませと胸の中で

思いました。

 

 

 

羽田孜と言えば、55年体制を打ち砕いたメンバーでも中心

中の中心です。1993年の宮澤内閣不信任決議案の賛否を

いかにするか羽田派内では直前まで話し合いが持たれて

いたそうです。もちろん、この中には小沢一郎奥田敬和

渡部恒三もいました。最終的にこの決議案に賛成票を入れ

ようと決めたのは小沢一郎でもなく奥田敬和でもなく会長の

羽田孜だったそうです。賛成票を投じても自民党からは出る

気は無かったそうですが、武村正義がなぜか自民党から出て

新党を作る動きを見せたため乗じて羽田派も同調し後に

新生党を作ることになりました。機会があり、羽田孜を一度

だけ見たことがありますが、飄々としている雰囲気ではなく

全く高圧的な感じはありませんでした。お話しすることは

出来ませんでしたが、人当たりの良さそうなところはニュー

ス記事の通りでした。

 

ニュースでは現行憲法では1番の短命内閣の長であったと

あまり良い報じ方をしてませんが、この人がいなければ

おそらく政治改革の旗印もいなかっただろうし、政権は

変わるんだという実感の持てる政治環境にはならなかった

と思いますね。未だに社会党が存在していたかもしれません。

自民党は党内抗争ばかりで選挙は中選挙区のままだったと

思います。村山社会党政権だって無かったでしょう。

 

 

 

新進党にも加わり小沢一郎と再度の政権奪取になるか?と

思われましたが、仲違いして太陽党を作り、孤立の方向に

向かいました。そんな所が悲しかったですが、民主党

入ってちと風当たりも良くなったことでしょう。細川護煕

フロムファイブという小政党を作ってましたが、それなりに

元気でしたよね。

 

元羽田派の人間が今元気に活躍してるのは、不思議にも

感じます。特に自民党幹事長の二階俊博ですね。二階は

羽田孜から色々と学んでいたでしょう。船田元もですね。

熊谷弘もいましたが、今でもたまに記事で目にしますね。

小沢嫌いでも有名です。

 

 

 

政界ガラガラポンの立役者が亡くなった事は本当に感慨

深いです。1993年にどれだけの人が自民党は終わったと

思った事でしょう。が、自民党は強く2017年与党です。

にしても、羽田孜はどんな日本を作りたかったのか聞いて

見たかったです。まぁ、でも選挙制度を変え、自民党

下野させ硬直化した政治体制に激震をもたらしたという

点からすれば十分に大きな政治家でしたね。

 

ところで、94年の朝鮮危機の時の首相は羽田孜でしたね。

まさに、今朝のミサイルは羽田孜に対する追悼ミサイル

だったのでは?と思うのは考えすぎでしょうか。

以上